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名古屋高等裁判所 昭和33年(ネ)218号 判決 1963年3月27日

主文

本件控訴を棄却する。

反訴原告(被控訴人)と反訴被告(控訴人)とを離婚する。

控訴費用及び反訴訴訟費用は控訴人(反訴被告)の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立、

被控人(反訴被告)(以下単に控訴人と云う)の訴訟代理人は、本訴につき、「原判決を取消す。控訴人と被控訴人とを離訴する。被控訴人は控訴人に対し原判決添付第一目録記載の不動産につき財産分与を原因とする所有権移転登記手続を為せ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、反訴につき、「反訴原告の請求を棄却する。」との判決を求めた。

被控訴人(反訴原告)(以下単に被控訴人と云う)の訴訟代理人は、本訴につき、「本件控訴を棄却する。」との判決を求め、反訴につき、「被控訴人と控訴人とを離婚する。訴訟費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の事実上の陳述、

本訴についての当事者双方の事実上の陳述は、いずれも原判決事実摘示と同一であるから、原判決添付目録の記載と共にこれを引用する。

被控訴代理人は当審において、反訴の請求原因として、次のとおり被控訴人と控訴人との婚姻には、継続し難い重大な事由が生じていて、しかも、その事由は、控訴人の責に帰すべき原因から生じたのであるから、控訴人との離婚を求めると述べた。

すなわち、およそ婚姻関係は、精神的には夫婦相互の愛情の保持により、物質的には、正しい経済的配慮により、維持せらるべきものである。ところが、被控訴人と控訴人との婚姻関係は、次に述べるとおり、昭和二四年一月頃控訴人の実兄岡田金作が被控訴人と同居するようになつてから、精神的にも物質的にも、破綻するに至つたのである。詳述すると、

(一)  金作は、社会的信用乏しく、親戚間においても交際する者が無かつた程の人物であつたので、被控訴人は同人の同居について内心快よく思つていなかつたけれども、偶々当時同人がその妻と不和であつて、その行先もなく、且つ貧困の極に達していたのと、同人が何分にも被控訴人の妻の実兄であつたことから、被控訴人としては、同人の同居を無下に拒むこともできず、止むを得ず昭和二四年一月頃から同人を被控訴人方へ同居させたところ、同人はその三月後には、その実子二人(清司と清子)をも連れて来て同居するようになつたものの、同人は同人等の生活費さえも支出できず、そのため、控訴人は秘かに昭和二五年頃から昭和二九年までの間に被控訴人の財産から別紙第三目録記載の物件を持出してこれを処分し、その得た代金等の内の大部分を金作等のために費消し、殊に金作がその間刑事被告人として起訴せられた際における所要経費さえも控訴人が秘かに被控訴人の財産から支出した程であつて、かくして控訴人は被控訴人との婚姻生活における経済的基盤を破壊し、

(二)  また、控訴人は被控訴人に対し次のとおり暴行を加えたり、訴訟を提起したり、訴訟提起の原因を作為したりして被控訴人との婚姻の精神面である愛情をも打ち捨てたものである。すなわち、

(1)  前に述べた経緯から、金作の同居後は、被控訴人と控訴人との間の感情の対立が次第に高まり、屡々紛争が起つたが、控訴人はその都度金作に同調して被控訴人をないがしろにし且つ金作と共に被控訴人に暴行を加えるようになり、昭和二八年中頃には、被控訴人の仕事中に控訴人と金作が被控訴人の首を締め、体を押えた上、「これは控訴人が買つてやつた洋服だ。」と云つて被控訴人が着ていた洋服を剥ぎ取つてしまつたり、被控訴人が金物を縄でしばつていたのを見て、「売つては困る。」と云いながら、右両名で被控訴人を殴打した上、「こんな者はどうでもよい。」と怒鳴りながら、逃げ廻る被控訴人を井戸端まで追いかけて来て、金作が被控訴人の首を締めたり、また後記ミカン畑で金作が被控訴人を鋏で殴つたりして被控訴人に暴行を加えるに至つた。

(2)  他方、およそ夫婦間で訴訟を起し、夫婦間の権利関係を裁判で解決しなければならないと云うことは、極めて変則的なことであつて、正常の夫婦間にはみられないことであるが、

(イ) 控訴人は、昭和二八年九月二二日被控訴人に対し被控訴人方の家計の収入源であつた被控訴人所有の愛知県知多郡内海町字入口所在のミカン畑を控訴人の所有と主張して、名古屋地方裁判所に、被控訴人の右畑への立入禁止する旨の仮処分命令を申請し、その決定を得て執行した。そこで被控訴人は止むなくその取消を申請したところ、これが認告せられて昭和二九年一〇月五日その一部が取消された。

(ロ) また、その後も控訴人は右ミカン畑のミカン約十数万円相当のものを、自己の所有と称して昭和三〇年四月頃苅谷金市に売却したため、被控訴人は苅谷からその所有権の確認等の訴訟を提起せられ、そのため、被控訴人はその所有権が自己に存することを主張して応訴することを余儀なくせられ、結局半田簡易裁判所(昭和三〇年(ハ)第三一号事件)、名古屋地方裁判所(昭和三三年(レ)第六号事件)、名古屋高等裁判所(昭和三四年(ツ)第一八号事件)と数年間抗争した結果、ようやく上告棄却の判決を得て被控訴人の勝訴が確定した。

(ハ) なお、控訴人は本件訴訟においても、原審において敗訴し、その離婚の請求が棄却せられたのに、さらに本件控訴に及び離婚の実現を熱望しているのであつてこの一事からみても、控訴人はもはや被控訴人との婚姻を継続する意思を全然有していないことが明白である。

以上のとおり、控訴人は被控訴人に対し夫婦の愛情など全然有しておらず、本件訴訟において控訴人がねらつているのは、むしろ離婚に伴う財産分与に名を借りて、被控訴人からその所有財産を取り上げようとする以外の何物でもない。

以上の次第であるから、控訴人こそ被控訴人との婚姻を破綻したものであつて、しかも、控訴人において、被控訴人との婚姻の継続を望んでいない以上は、被控訴人としても、万策つきたものとして、民法第七七〇条第一項第五号に則り控訴人との離婚を求める以外に方法がない。

第三、当事者双方の立証(省略)。

理由

その形式並びに趣旨からみて公文書と認められるから、真正に成立したものと認められる甲第一号証と原審における当事者双方の各本人尋問の結果によると、控訴人は明治三三年一〇月二五日岡田藤治郎、同志満の二女として出生し、大正一一年五月二三日被控訴人と婚姻届を為したもの、一方、被控訴人は、明治三三年五月二九日大岩文左エ門、同みしの長男として出生し、控訴人と婚姻後昭和一一年一二月六日右文左エ門の死亡によりその家督を相続したものであつて、右夫婦間には子女の無いことが認められる。

(一)  そこで先ず本訴において控訴人が離婚原因として述べている

被控訴人は婚姻当初から「こすゑ」と云う女性と不貞関係を有し、さらに婚姻後の昭和二四年頃から、もと芸妓であつた「大井静」と云う女性とも不貞関係があり、殊に昭和二六年九月頃には同女と共に芸妓置屋業を開業しようとした程であつて、以上の事実は、被控訴人に不貞の行為があつた場合に当るとの旨の控訴人の主張の当否について考える。

当審における被控訴人本人の尋問の結果によると、被控訴人は婚姻当初「こすゑ」と云う女性と関係していたことが認められるけれども、同時に当時すでにその関係が打ち切られているものと推認せられるから、その後三〇年以上も経過した今日において、右理由に基づき離婚を認めることは相当でないと考えられるから、被控訴人の右不貞行為を原因とする控訴人の離婚の請求は民法第七七〇条第二項により棄却を免れない。

「大井静」との関係についてみるに、この点に関する原審証人大岩けい、榎戸ぎん、岡田義孝、岡田金作の各証言、当審証人岡田金作、岡田清司の各証言、原審並びに当審における控訴人本人の尋問の各結果中いずれも控訴人の右主張に添う部分は、同じく原審証人阪野鉄城、猪瀬鶴蔵、角佐兵、猪口武次郎、飯田修三、河合平太郎、平野光重の各証言、原審並びに当審における被控訴人本人の尋問の各結果に比照して、たやすく措信できず、他に控訴人の主張するような被控訴人の不貞行為を確認するに足りる証拠がない。それ故に控訴人の右主張は到底採用することができない。

(二)、つぎに、同じく控訴人が述べている、被控訴人は、昭和二七年四月二五日頃控訴人を殴打した上住家から追い出し、その出入口に施錠したため、控訴人は出入不能となり、止むを得ず知人宅に泊まつたり、或は住家裏の工場の一隅の土間に起居したりして農耕に従事していたが、被控訴人は控訴人が丹精して耕作したミカンの収穫さえも取り上げてしまい、その間生活費も呉れなかつたので、控訴人は生活に困り、同年五月二八日内海町に生活保護を申請し、同年一〇月一日から生活の扶助を受けるに至つたが、このことは、被控訴人が悪意を以つて控訴人を遺棄した場合に当るとの旨の控訴人の主張の当否については、後記認定のとおり、被控訴人が悪意を以つて控訴人を遺棄した場合に当らないから、控訴人の右主張も亦採用することができない。

(三)  最後に、婚姻を継続し難い重大な事由については、控訴人が本訴において、被控訴人が反訴において、共にこれを主張し、且つその責任は互に相手方に存することを力説しているから、この点については同時に判断する。

成立に争のない甲第四号証の二、第七号証の一から四、第一三号証、第一四号証、第一五号証、第一七号証の一、二、第二三号証、第二四号証、第二号証、第三二号証、第四六号証、乙第一号証、第三号証、第七号証の一から五、第八号証、第一五号証、第一六号証の一、二、三、第一七号証から第一九号証、第二〇号証の一から六、第二一号証から第二四号証、第二六号証第二九号証から第三四号証、第三七号証、原審証人大橋友吉の証言並びにこれにより真正に成立したと認められる甲第八号証の五、原審における証人榊原みつ枝、石橋米三郎、河合平太郎、阪野鉄城、岡田義孝、中島鎮太郎、榎戸ぎん(第一、二回)服部栄七、碓氷嶺太郎、猪瀬鶴蔵、大曾根太忍、飯田きぬ、猪口武次郎、岡田金作の各証言並びに当事者双方の各本人尋問の結果当審における証人岡田金作(第一、二回)、岡田清司、榎戸ぎん、吉野きみ子、梅北和夫、森保二、平野光重の各証言並びに当事者双方の各本人尋問の結果を綜合して考えると、

(1)  被控訴人は、内海町の資産家に生れ、経済的に安定した生活環境の中で成人し、父文左エ門の家督を相続してからも、先祖伝来の不動産からの収益(主としてミカン畑からの収入)等で生計を賄い、自ら事業等により収益を挙げることをせず経済界の変動に遭い売り食いの生活を続けていたが、若い時代からの狩猟や囲碁等の趣味も広く、自然遊び友達も多かつた上、生来気前のよい性格から料理店等の飲食代の支払も、共に飯食した他人の分までも支払つてやることが多かつたため、趣味や交際費に相当の出費が嵩み、かくて昭和四、五年頃債権者からの厳重な取り立てに遭い、その際被控訴人は、控訴人の父藤治郎、兄岡田金作等の援助を受けて一旦財産の整理を行い、その後控訴人と共に織布業を始め財政的建直しを図つたが、実現できなかつたこと、

(2)  ところが、当時知多郡武豊町方面に転居していた控訴人の兄金作が、偶々当時その妻と不仲となり、その行先にも、生活にも困り、昭和二四年一月頃控訴人をたよつて被控訴人方に来たが、被控訴人は当初その同居に反対したけれども、結局控訴人の熱心な願を容れ同人を同居させるようになつたのに、金作は、やがて、その子供二人も連れて来て同居するようになつたため、被控訴人は内心快よく思つていなかつたこと、

(3)  しかるに、金作は以前自ら或はその父等が被控訴人を経済的に援助したことを心底にもつていたためか被控訴人に対してはとかく差出がましい態度に出る一方、兄妹の関係から被控訴人とよりも、むしろ、控訴人と一層親密に生活し、また控訴人も金作を立てて被控訴人をないがしろにする態度があり、殊に昭和二四年七月頃金作が刑事事件で起訴せられた事件の発生後、控訴人は金作等のため被控訴人方の家計を無視して昭和二五年頃から昭和二九年頃までの間に、秘かに被控訴人の財産から多額の金員や物件を持出して使い、就中右刑事事件の必要経費までも支出したため、控訴人と被控訴人との間に一層紛争が多くなり、しかも、このような場合、金作はいつも控訴人に味方して被控訴人と殴り合い等して双方負傷することもあつたこと、その間控訴人と被控訴人が将来養女とするつもりで昭和二五年頃から養育していた被控訴人の弟平野光重の娘智代が右の如き雰囲気を嫌つて昭和二六年七月一五日光重の許に帰つてしまつたため、被控訴人は金作等の同居について益々不満の気持を強くしていたこと、

(4)  その後右のような雰囲気が益々嵩じ、昭和二七年四月頃に至り控訴人が被控訴人と口論の末偶々戸外に飛び出した際被控訴人はそのまま同人を締め出して家に入れなかつたので、控訴人は止むを得ず知人宅に泊り、結局、被控訴人と別居して、住家裏の工場内の一部に金作、その子供等と共に住むようになつたが、その後は被控訴人から生活費等も与えられなかつたため生活に困り、内海町に生活保護を申請して昭和二七年一〇月一日から生活扶助を受け(その後昭和二九年一一月を以つて一旦打切られたけれども再び申請して認可せられた)、その後被控訴人所有のミカン畑を耕作して来たところその収穫をめぐつて被控訴人と控訴人及び金作との間に一層激しい紛争が多くなり、このような場合、体力的に劣つた被控訴人は、いつも、金作等に取り押えられ、時には負傷したこともあつたこと、

(5)  その上控訴人は、昭和二八年九月二二日被控訴人を相手どり、名古屋地方裁判所から被控訴人所有の内海町字入口所在のミカン畑に占有移転の仮処分命令を得て執行し、右畑を自己の占有に収めたため、被控訴人は止むを得ずその取消を申請し、その後その一部の取消が実現したこと、さらに、控訴人は昭和三〇年四月頃右ミカン畑のミカンを被控訴人の知らない間にその代理人と称して苅谷金市に売渡したため、その所有権の所属をめぐつて紛争が起り、苅谷が被控訴人を相手どり、果実所有権確認等の訴訟を起した(半田簡易裁判所昭和三〇年(ハ)第三一号事件)ため、被控訴人は、その所有権を主張して抗争することを余儀なくせられ、被控訴人主張のとおり、控訴審、上告審と抗争して、結局昭和三四年八月二一日被控訴人の勝訴判決が確定するに至るまで、被控訴人は苦心を重ねたこと、

が認められ、前記証人岡田金作、榎戸ぎん、大曾根太忍、控訴人本人の各供述部分の内右認定に反する部分は、にわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実からみると、控訴人と被控訴人との夫婦関係は少くとも金作が同居し、昭和二六年七月智代が実家へ帰つてしまうまでは、別居問題を起したり、訴訟を起したりするような険悪な事態は起つていなかつたことが判かり、同時に控訴人と被控訴人との婚姻関係は昭和二七年四月頃控訴人が別居するようになつた時から破綻し、婚姻を継続し難い重大な事由が生じているものとみられるが、右事由が生じたのは、結局において、控訴人が被控訴人の真意に反して金作等を同居させ、その同居後において、金作と親密の度を加え、夫である被控訴人をないがしろにし、且つ金作等のため秘かに被控訴人の財産から多額の支出を為したことが最も重大にして且つ根本的な原因であつて、その責任の大半は控訴人においてこそ負うべきものと考えられる。従つて控訴人が被控訴人から同居を拒まれ且つ扶養を断たれたことは、控訴人が自ら招いたものと非難されても仕方がない場合に当るものと考えられるから、右事実を目して被控訴人が悪意を以つて控訴人を遺棄した場合に当るものとは云えない。それ故に控訴人の離婚の請求はその原因を欠き失当として棄却を免れず、ひいてその離婚を前提とする財産分与の請求も亦失当として棄却を免れない。

これに反して、同じく以上認定の事実、殊に右(5)の認定事実のように、控訴人が夫婦間の権利関係を訴訟で解決しようと図つたこと及び本件控訴のように、すでにその離婚の請求を棄却した判決に対し、控訴人が自ら控訴に及んでいることからみて明白なとおり、控訴人がすでに被控訴人に対する夫婦の愛情を全く失い、被控訴人との離婚を熱望して止まないものと思われることから考えて、これ以上控訴人との婚姻を継続せしめることは、かえつて被控訴人に酷である。従つて、以上認定のとおり、婚姻を継続し難い重大な事由は、控訴人の責に帰すべき原因から生じたものとみて、被控訴人の離婚の請求を認容すべきものと考える。(因に反訴においては、控訴人は財産分与の請求を申立てていないから人事訴訟法第一五条第一項所定の申立がないことになり、その点についての判断を為すことができない。)

よつて、本訴につき右と同一結論に出た原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきものとし、反訴につき、被控訴人の離婚の請求を認容し、訴訟費用につき、民事訴訟法第九五条、第八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(別紙目録は省略する。)

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